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教育・文化・スポーツ

ちょっと寄り道(太田地区)

「広報ひたちおおた」で連載中のコーナー「ちょっと寄り道」で紹介した地域の見どころを紹介します。

太田地区

写真 地域名 見どころ
  宮本町

若宮八幡宮からの景色

宮本町にある若宮八幡宮の境内からは,西山公園方面の風景を望むことができます。春には西山公園から太田二高,山吹運動公園,佐竹高校の桜が一斉に咲き,西方が淡いピンク色に染まります。夏は境内にある樹齢600年~800年のケヤキが,セミの鳴き声に包まれて青々と生い茂ります。一昔前は,近所の方々がうちわを持って境内に夕涼みに来ていたそうです。秋になると紅葉がとて見事。冬,落葉した山々に寂しさを感じたとき,西山公園にある義公廟(ぎこうびょう)が見え,本市の歴史を感じます。この四季折々の表情を見せてくれる若宮八幡宮からの景色を見て,「ホッ」と心を休ませてみてはいかがでしょうか。

 古刀比羅 内堀町

古刀比羅神社(こんぴらじんじゃ)

内堀町を走る県道常陸太田大子線の丁字路(ヤクルト販売店隣)から北に向かって町内全体を見守るような古刀比羅神社は,「こんぴらさん」の通称で親しまれている由緒ある神社です。海の安全である海路を守る神様と信じられ,海路のない旧太田町においては,陸路と商業の発展を祈願する神様として尊ばれていました。現在の本殿は,明治36年に旧太田町の有志で建設されました。内堀町では,子供会をはじめ氏子の皆さんと共に年3回(元旦・春・秋祭)の祭りを行い,町内の安寧,交通安全,五穀豊穣,商売繁盛を祈っています。時も流れ,平成の時代となり本殿も築100数年を経過し,ところどころに老朽化が目立ち始め,補修の必要性が出てきました。町の由緒ある遺産の継承のためにも,多くの方々の協力を得て補修をしていきたいです。 

   あかれんが  東一町

旧稲田家住宅赤煉瓦蔵

東一町のとおり沿いには,趣深い建物が並んでいますが,その中でも,ひと際目を引くものが旧稲田家住宅赤煉瓦蔵です。
この赤煉瓦蔵は,明治43年にこの地で酒造業を営んでいた「稲田屋」の稲田敬造氏が袖蔵として建造しました。当時の太田町金井町在住の宮大工棟梁斎藤辰吉氏が建築し,煉瓦蔵の三階の天井部分の柱と梁の組み方や,黒漆喰塗の観音開きの扉など,卓越した技術の粋が凝縮されております。
平成26年には国の有形登録文化財に登録され,現在はギャラリーとして,絵画の個展やイベントなどに活用されています。
ぜひ一度,訪れてみてください。

 鋳銭座 山下町

鋳銭座(いせんざ)稲荷神社の碑

 山下町集会所の西側に,祠と鋳銭座稲荷神社の碑が建っています。鋳銭座とは貨幣の鋳造を行う場所のことで,江戸時代,現在の常陸太田駅の北側付近で水戸藩領内の砂鉄を用いて貨幣が造られ,2~3千人もの人が働いていました。明和5年(1769年)から始まった貨幣の鋳造は,途中数回の火災や一揆に遭遇しながら創業を続け,安永6年(1777年)6月に,ついに閉鎖されました。稲荷神社は鋳銭座見取図では北側右角に示されています。これらは,昭和50年頃までは常陸太田駅北側付近にありましたが,道路拡幅工事に伴い,現在の地に移転,祭祀建立されたものです。

 喜代太郎 木崎二町

喜代太郎

 今から約200年前,木崎郷の貧しい家に生まれた「喜代太郎」は,11歳で奉公に出されました。しかし父・三次が足の病にかかったため,その面倒をみることに。親想いの喜代太郎は,働き先からもらった食べ物を父に与え,自分は食べたふりをしていました。大小便の世話なども行い,寝ずの看病をしたことも。それを聞いた水戸藩の役人は米や金一封を与えましたが,無理をしたためか,喜代太郎は13歳でこの世を去りました。当時この美談は全国に知れ渡ったそうです。

 下井戸神宮 木崎一町

下井水神宮

下井水神宮は,旧市街鯨ヶ丘の下井戸坂にあります。鯨ヶ丘には古来七井と呼ばれる井戸があり,滝の井,十王井,紫岸井,金井,猿ヶ井,観蔵井,そして下井の7つです。この下井は,1857(安政4)年水神様が祭られ,1934(昭和9)年に地元住民によって祠と石碑が建てられました。その祠も70年の時代の流れで老朽化し,2004(平成16)年に改修し,今日に至っています。かつては近隣住民や歩行者の飲料水,生活用水として利用されましたが,現在は開発が進んだ影響で水量も減り,水波能売命(みずはのめのみこと)を祭る水神様として,旧暦6月18日夜町として引き継がれ今日に至っています。

 ケヤキ 栄町

銀杏とケヤキ

 栄町に約1.7万平方メートル(約5千坪)の広大な空き地があります。かつて大蔵省専売局の大きな倉庫が立ち並び,樫の木とタチブ(カラタチ)が周りを囲んでいました。秋になると農家の方が葉煙草を納めにやってきます。納め終わると現金を手にし,美酒に顔を赤らめ喜色満面。牛馬をいたわりながら荷台に乗って帰路についたそうです。昭和30年頃には,毎年11月23日に露天商が出てにぎやかになり,「たばこ祭り」と呼ばれ太田の秋の風物詩でした。時が流れ「産業祭」として継承,現在の「常陸太田秋まつり」の原点となりました。当時をしのぶものは,専売所跡地にそびえる銀杏とケヤキの大木だけです。

山田神社

ふれあい広場

西三町

山田神社と鯨ヶ丘ふれあい広場

 鯨ヶ丘地区には多くの神社があります。旧暦の6月1日から7月2日までの約1か月間,西三町の「山田神社」をかわきりに,21か所の神社で御田植祭が行われ,この祭りを「太田の夜祭」または「太田のだらだらまつり」と呼んでいます。山田神社から坂を上ると,近くに「鯨ヶ丘ふれあい広場」があります。ここは昭和40年代まで旧太田警察署,その後は旧太田消防署があった場所です。平成20年に市民や地域住民に親しまれる場所にしたいということから広場が作られ,子供からお年寄りの憩いの場所になっています。広場には,芝生が張られた親子クジラが仲良く泳いでいますので立ち寄ってみてください。

 板谷稲荷神宮 東二町

板谷(ばんや)稲荷神社

 旧太田町には各町内に見守り神社があります。旧暦の6月1日から各神社で御田植祭が始まり,それぞれの各町内で行います。次々と夜祭が続きますので,通称「だらだらよまち」といっています。東二町には,板谷稲荷神社があり,旧暦6月14日が祭礼日,初午祭を2月初午の日に行います。また,夏祭りには子供みこしを出します。神社創建ははっきりしませんが,震災の時に一部墨書が見つかり,江戸中頃と推定される文字がありました。祭神は倉稲魂乃命(うかのみたまのみこと)。境内からは遠く東海村まで見通せ,その景色は素晴らしいものです。大晦日の夜には,神社境内でそばやうどんを参拝客に振る舞います。その頃の夜景は特に素晴らしいものがあります。

 舞鶴城 中城町

舞鶴城跡碑

 中城町の地は,昔佐竹氏が居城とした太田城の本丸の跡に当たります。地元の伝承によると,城は坂上田村麻呂の築城とも言われています。太田城は別名「舞鶴城」と呼ばれ,3代佐竹隆義が入城する日に,鶴が城の上空を舞いながら飛んでいたことからその名がついたと言われています。皆さんご存知の通り,慶長7年(1602年)20代佐竹義宣のときに,秋田県へ転封により廃城となり,残念ながら昔の栄華を偲ぶことはできませんが,太田小の校門西側に城の跡を示す石碑が建立されていますので,ぜひご覧になってください。

諏訪神社 新宿町下

諏訪神社

諏訪神社は,県立太田二高西側の高台の一角にあります。同校南側の道を西に進むと鳥居が見え,140余段の階段を上ったところに境内があり,静かな清楚な感じの神域です。祭神は大国主命の皇子神とその妃神で,境内に由来を示す碑があります。武芸神であるとともに,五穀豊穣・家内安全・風雨を司る守護神で,現在では,受験・交通・嫁姑の争いにも霊験ありと崇拝されています。創建は,佐竹氏4代秀義が源頼朝に従い奥州征討時に戦勝を祈願するために,文治5(1189)年に信州諏訪大社の武芸神を祭ったと伝えられています。その後,佐竹氏17代義篤をはじめ,徳川2代将軍秀忠,徳川光圀から社殿や社領の寄進を受けています。当社には,天文11(1542)年に佐竹義篤らが社殿を造営した際の棟札が残されており,市内最古の棟札として市の指定文化財になっています。
西山公園散策の際には,ぜひお立ち寄りください。

 梅津 西二町

梅津会館

梅津会館は,昭和11年(1936)に太田町役場として建てられました。塔屋が付いた鉄筋コンクリート造2階建ての近代的な建物は,当時の新聞に「県下に冠たる太田町役場」「県下一の豪華庁舎」と評されていました。
建設にあたっては,太田町出身で函館に渡り商売で成功を収めた梅津福次郎氏から多額の寄付を受けました。その寄付に報いるため,福次郎氏の胸像がつくられ,その功績を伝えています。(現在の胸像は戦後に再建されたもの)
昭和29年(1954),市制施行により常陸太田市役所となり,昭和53年(1978)に市役所が現在の庁舎へ移されると,役所としての役目を終え,「梅津会館」と改称されました。平成11年(1999)に国登録有形文化財となり,梅津会館は現在も市の郷土資料館として親しまれています。
郷土の歴史を学べる梅津会館にぜひ足を運んでみてください。

 ほうねんじ 東三町

法然寺

東三町は,古き良き景観が残る鯨ヶ丘にあります。東三町をゆったり歩いて見ると,さまざまな発見があると思います。その中で今回ご紹介するのは,風神と雷神のレリーフが施された山門が威風堂々と構える法然寺です。
法然寺は,延元元(1336)年に蓮勝房永慶が佐竹氏10代の義篤の保護を受けて開創した浄土宗の寺です。
当時は現在の木崎一町付近にあったと伝えられています。のちに常福寺(那珂市)を開いた了実成阿や,浄土宗義の体系を整えた了誉聖冏も法然寺の蓮勝のもとで学んでいます。
その後,蓮勝が亡くなると寺は衰退してしまいましたが,慶長元年(1596),常福寺の朱梅が復興を唱え,佐竹義重の家臣田中隆定が尽力し,現在地に再建されました。
法然寺は,今も昔も変わらず地域の人々に親しまれています。ぜひ,みなさんも一度訪れてみてください。

       塙

塙2

 

塙町

 

浄光寺と水玉稲荷

塙町のちょっと寄り道していただきたいポイントは,浄光寺と水玉稲荷です。浄光寺に着くと,薬師堂,鐘楼のない鐘つき堂,イチョウの巨木や桜の老木が来訪者を迎えてくれ,白御影の参道を進むと,浄光寺,本堂参拝ができます。浄光寺は,正中元(1324)年,佐竹貞義が母の冥福を祈念するために建立した時宗の寺院です。開山は東国を遊行していた呑海で,呑海が翌年,遊行上人の法灯を継いで清浄光寺(現 時宗総本山遊行寺)を開山したことから,当時の浄光寺は,時衆の一大道場になっていたことが伺えます。本堂右の舗装された道を進むと,まるで空にそびえるように塙町の守り本尊である正一位水玉稲荷があります。ここからは,阿武隈山地最南端より風神山,真弓山,高鈴山,白羽の航空衛星センター,国見山などの雄大な景色や,箱庭のように市街地を眺めることができます。どうぞ参拝方々お越しください。

 

桃源

新宿町

西山の里 桃源

徳川光圀の隠居処であった西山御殿(西山荘)の入口にある西山の里桃源には,池や橋を配した約8千平方メートルの日本庭園があり,花菖蒲と梅の花の名所となっています。ここでは毎年,春が近づくと手入れされた約70本の紅白の梅が咲き誇ります。
徳川光圀は自らの雅号(画家・書家としての名前)を「梅里(ばいり)」と名乗ることからもわかるように,日本古来の風物とも言える梅をこよなく愛していた記録が残されています。梅が満開を迎えると,甘い春の香りで来訪者を迎えてくれます。この機会にぜひ,桃源の梅の花見に訪れてみてはいかがでしょうか。
※梅の植わっている庭園へは無料で入場できます。
※梅の花は例年2月中旬から3月中旬を目安に開花します。気候によっては開花時期が前後することがありますのでご了承ください。

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このページに関するお問い合わせは文化課 エコミュージアム推進室です。

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