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教育・文化・スポーツ

ちょっと寄り道(誉田地区)

「広報ひたちおおた」で連載中のコーナー「ちょっと寄り道」で紹介した地域の見どころを紹介します。

誉田地区

写真 地域名 見どころ
  増井町

佐々宗淳の墓

増井町には佐竹氏の菩提寺である正宗寺があります。総門をくぐり左奥の墓地へ進んでいくと,「この紋所が目に入らぬか!」と威勢の良い声が聞こえてきそうなお墓があります。そう,時代劇の定番である水戸黄門の「助さん」のお墓です。助さんこと佐々宗淳は,瀬戸内海の小島に生まれ,15歳で京都にある妙心寺の禅僧となりました。還俗(出家した者がもとの俗人に戻ること)して徳川光圀公につかえてからは。大日本史編さんのため,畿内をはじめ北陸,中国,九州をめぐり貴重な史料を収集しました。彰考館総裁を辞めてからも西山荘で光圀公に仕えましたが59歳で没し,妙心寺と同じ臨済宗の正宗寺に葬られました。増井町へお越しの際には,長い旅をした助さんの安息の地へ,ちょっと寄り道してみてはいかがですか?

  瑞龍町一町

源栄(もとさか)家の大銀杏

瑞龍町熊ノ堂地区には,樹齢300年~400年の銀杏の巨木があります。高さ約30メートル,幹周り5.7メートルですが,地上1.3メートルの計測ポイントのあたりが最も細く,そこから上に向かってだんだん太くなっていきます。また,大小30数本ある乳根と,直径1メートル以上の枝が四方八方に広がっている様はとても雄大です。数十年前,この辺りの人は黄色く色づいた銀杏の葉を目安に,稲刈りを始めたそうです。この大銀杏は,源栄さんのお宅の敷地内にあるのですが,水戸徳川家の墓所でもある瑞竜さんへの山道沿いに位置しています。

ちょっと寄り道(瑞龍2) 瑞龍町二町

旌桜寺(せいおうじ)の旗桜と国見山

瑞龍町には,源頼義,義家親子が奥州征伐の帰りに休息したとき,旗竿をさしたものが根付いた「旗桜」があり,見事な花を咲かせます。その桜がある旌桜寺は康安元年(1361年)に佐竹義篤により建立され,桜が見事なことから命名されたと言われています。以前は地域の花見宴会などが行われる憩いの場でもありました。また,山頂が国土を測量する三角点にもなっている国見山は,ハイキングコースとして多くの方が訪れます。ふもとにある耕山寺から出発して,登り約50分,下り約30分の緑豊かな森林浴が楽しめます。さらに寺の境内では季節によって美しい花々を見ることができます。

 ちょっと寄り道(下大門1) 下大門一町

枕石寺跡と天満宮

下大門町には枕石という地名があります。昔,近江日野とから大門の地に隠棲していた日野左衛門尉頼秋という土豪がいました。建暦2年(1212年)の雪の夜,布教のため訪れた親鸞聖人と2人の弟子は吹雪に遭い,頼秋に一晩泊めてほしいと頼みました。しかし断られてしまい,門の扉止めの石を枕にして休んだことから,枕石として地名がつき枕石寺の名の由来になったと言われています。(寺は現在,上河合町に移転)また,町内には学問の神様の菅原道真公を祭る天満宮があり,学問の向上や一家の繁栄などを祈願して,毎年地域の方が元朝参りなどを行っています。

 お内儀の墓 新宿町上

極楽寺と淡河の墓

新宿町上は国道293号にある西山桃源橋から見て北方向にあり,極楽寺跡は桃源橋から1キロほど入った山間にあります。極楽寺は,頭白上人が永正12(1515)年ごろに建てたと言われており,その一角に大日本史編さんに関わった佐々宗淳(通称介さん)の継室淡河(おごお)の墓があります。墓碑には,「十竹居士継室淡河氏之墓」と記されています。淡河は佐々宗淳の後妻で,酒井越前家に仕えた後に宗淳に嫁ぎました。男子はなく二女をもうけましたが,宗淳とは24歳の差があり,宗淳に先立たれた一カ月後の元禄11(1698)年,35歳で不老沢にてその一生を終えました。正宗寺に埋葬されている宗淳とは,夫婦でありながらなぜ埋葬の地を異なる場所にしたのかは不明です。

  馬場町上

八幡宮(流鏑馬をした場所)

県道29号常陸太田烏山線と県道33号大子線が合流する馬場丁字路から北へ400m進むと,馬場の八幡宮が鎮座しています。馬場の八幡宮の創立は天喜4(1056)年,源頼勝が陸奥の阿部氏鎮撫のため奥州に向かう途中,石清水八幡宮を祭り戦勝祈願したことから始まります。後に,佐竹氏の時代に太田郷の総社として鯨岡八幡宮の社号を奉りました。馬場丁字路から八幡宮までの真っ直ぐな道路は,寛治6(1092)年に源義家・義光が戦勝を報賽し,八幡宮に流鏑馬を奉納した場所です。かつては,民家の裏に矢に使うための竹藪が数カ所残っていたのを見ました。歴史のある馬場八幡宮に皆さんもぜひお立ち寄りください。

みなみ

きた

下大門町二

北大門城址&南大門城址

国見山の西山麓,堀之内集落の近傍に北大門城址(本城)と南大門城址(出城)があります。どちらも山城で築城年等は不明ですが,佐竹氏とも縁があり,1504年に佐竹氏中興の祖である佐竹義舜が山入氏から太田城を奪還するための前線にしたとされています。
いずれの城址も今は鬱蒼とした樹木に覆われ,往時をしのぶものとして掘割を残すのみとなっていますが,それだけに時の流れに思いを巡らすことのできる空間となっています。
また,これらの城址を下りた旧道沿いに,様子は違いますが,それぞれ地蔵尊が祀られています。山城の歴史とこれといったゆかりは認められないにしても,何やら感慨を催す佇まいです。

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このページに関するお問い合わせは文化課 エコミュージアム推進室です。

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