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薬谷町の地域資源
わがまち地元学に取り組んだ地域で再発見・再認識された地域資源(=お宝)を紹介しています。
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薬谷町のお宝
歴史
近津神社 創建は不詳。長者の氏神であったという伝説があります。水戸藩の寺社改革により龍九寺内にあったものが,元禄7年(1694年)に現在の地に遷座して薬谷の鎮守となりました。 |
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古代久慈郡の寺跡 この辺りには古代久慈郡の寺があったと推定されています。寺院地はおよそ東西200メートル,南北300メートル。寺があったことを示す墨書土器が出土しています。
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薬師堂と龍九寺 弘化元年(1844年)水戸藩の寺院整理政策により龍九寺は廃寺となりました。寺の鐘は,火の見櫓の半鐘として近年まで使われていました。鐘は薬谷町で保管しています。現在の薬師堂は,明治11年に地元の人々により再建(さいこん)されたものです。 |
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故草楽舎関先生の墓 関玄篤(せきげんとく)は江戸時代後期の郷医で,治療・投薬に秀れ水戸藩から苗字帯刀を許されました。子孫の関信之介(せきしんのすけ)は薬谷村に生まれ,明治25年,第2回帝国議会衆議院議員選挙に当選し,長年にわたり国政に活躍しました。
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石仏群(下宿) 地蔵菩薩・子安観音・馬頭観音・庚申供養塔など江戸時代中期から明治・大正時代の石仏が祀(まつ)られています。 |
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石仏群(鹿島内) 子安観音・馬頭観音・庚申供養塔・如意輪観音など江戸時代後期の石仏が祀られています。 |
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石仏群(浅川) 地蔵菩薩・子安観音・如意輪観音・荒神供養塔・馬力神など 江戸時代から昭和までの石仏が祀られています。 |
自然
横塚山 西金砂神社磯出大祭礼のときの渡御行列のお休み場。春には桜やツツジが美しい。横塚山からは,辰ノ口用水によって灌漑されている水田が一望でき,高鈴山もよく見えます。 |
産業
薬谷堰と水神様 永田茂衛門,勘衛門父子により進められた辰ノ口堰が慶安2年(1649年)完成しました。同じ頃に薬谷堰も完成しました。水路脇には水神様(水分神(みくまりかみ))と薬谷堰記念碑があります。 |
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辰ノ口用水と三分水 水戸藩は,たび重なる日照りの害を防ぎ稲作を盛んにするために,永田茂衛門(ながたもえもん),勘衛門(かんえもん)父子に辰ノ口用水の工事を依頼しました。用水は,この分水で中野・小島方面へ,薬谷堰から大里・天神林・谷河原方面へ,薬谷堰下流から藤田堰で藤田・河合方面へと三方向へ分流しています。 |
問い合わせ先
このページに関するお問い合わせは文化課 エコミュージアム推進室です。
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