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教育・文化・スポーツ

【集中曝涼】大中神社(R7新規公開場所)

大中神社 おおなかじんじゃ

目次

基本データ

公開される文化財について

来歴

大中神社の文化財

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基本データ

大中神社の来歴

 大中神社は、かつて大宮大明神とよばれた、旧小里郷9か村(里川、徳田、小妻、小中、大中、折橋、小菅、大菅、黒坂)の総鎮守です。祭神は大己貴命、少彦名命で、現在境内には20の境内社が祀られています。

 大同2年(807)11月15日創立や、八幡太郎義家が奥州征伐の際に、舘籠地・小森に、大宮大明神として創立、戦勝を祈願したとの伝承があります。中世、常陸国を治めた佐竹氏が厚く崇敬しましたが火災に遭い、別当寺である隆真院とともに焼失、正長元年(1428)に滝沢山に遷座し再建されました。佐竹氏が秋田へ移封された直後の慶長7年(1602)末には、地区では破格の朱印地45万石を徳川家康より与えられています。

 水戸藩主も厚く信仰し、特に2代藩主水戸光圀は深く信仰したといわれます。現在大中神社がある場所には、応永元年(1394)、大宮大明神の別当寺・隆真院が再建されていましたが、寛文3年(1663)から開始された光圀の寺社改革によって破却され、元禄13年(1700)、大宮大明神が同場所に移されました。その後、明治6年(1873)には、村社となり大中神社と改称されました。

 令和7年11月9日は、大中神社大祭礼の年に当たり、嘉永7年(1854)に完成した大神輿が行列と共に氏子区域を練り歩きます。

大中神社の文化財

 大中神社本殿 おおなかじんじゃ ほんでん

大中神社本殿

市指定文化財(昭和50年7月1日指定)
 本殿は、桁行1間、梁間1間の入母屋造となっています。軒唐破風、銅板葺です。組物は三手先詰組で二重尾棰のうち一重は動物木鼻となっています。太田村の宮大工、棟梁権平により造営されたと伝わり、当初は豪華な色彩が施されていました。
頭貫の獅子鼻の墨書には寛保3年(1743)と書かれるものの、享保9年(1724)の造営と伝わっており、建築様式からも享保年間の創建と考えられます。
   出典:茨城県教育委員会編『茨城県の近世社寺建築』(茨城県教育委員会、1982)

大中神社御神木のスギ おおなかじんじゃ ごしんぼく の すぎ

大中神社御神木のスギ

市指定文化財(昭和50年7月1日指定)
 根周り7.3m、目通り周囲4.8m、樹高約50mで、杉の木としては、里美地区最大級の大きさです。樹齢は450年と推定され、この地にあったものの、元禄年間に廃寺となった真言宗の寺院・隆真院の時代より境内木として成長を続けたものと考えられます。

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このページに関するお問い合わせは文化課 文化係です。

〒313-0055 常陸太田市西二町2200(旧法務局)

電話番号:0294-72-3201 ファックス番号:0294-72-3310

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  • 【更新日】2025年7月2日
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