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【集中曝涼】利員城跡(R7新規公開場所)

利員城跡 としかずじょうあと

目次

基本データ

利員城跡について

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基本データ

利員城跡について

 利員城(別称:利員竜貝城) としかずじょう(としかずりゅうがいじょう)

 利員城は「根小屋式*1」の大型の城郭で、久慈川支流浅川の左岸、標高130mの丘陵上に位置します。
本郭南西側の麓には天満神社が所在し、城域は、東西約120m、南北150mと推定されています。山入城跡(市内国安町)と同等以上の規模を誇り、山城部はほぼ完存状態です。居館部にも横堀や土塁の一部が残されています。
 利員城に関わる史料が非常に少ないことから築城年代は明らかになっていないものの、1400年頃には既に城が存在していたと考えられます。また、山入の乱*2の初期には、利員城は山入氏側の城であったと思われます。その後、文明10年(1478)頃には佐竹宗家の城であったと考えられ、部垂の乱*3終息後には佐竹家臣団が存在していました。佐竹氏が出羽国(現秋田県)へ国替えとなるまで、約200年の歴史を有する城です。
 近年、地元の有志を中心とした「利員城保存会」が立ち上がり、一帯の整備が行われたことによって、藪に埋もれていた遺構が姿を現しました。これに伴って詳細調査が行われ、全貌が明らかになりましたが、現在も調査が続けられています。

*1山麓に居館や屋敷を備えた山城の形式。山城は平地の面積が狭いことから、この構造がみられる。
*2佐竹宗家と佐竹庶流の山入氏を中心とした佐竹一族の内乱。
*3佐竹17代当主・義篤と実弟・部垂義元の争乱。

 

出典:
・茨城県教育庁総務企画部文化課編 『茨城県の中世城館-茨城県中世城館跡総合調査報告書-』 (茨城県教育委員会、2023)
・茨城城郭研究会編『続・図説茨城の城郭』(国書刊行会、2017)
・茨城城郭研究会編『続・図説茨城の城郭3常陸太田市編』(2024)

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  • 【更新日】2025年7月2日
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