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教育・文化・スポーツ

【集中曝涼】来迎院

来迎院 らいこういん

目次

基本データ

来歴

来迎院の文化財

イベント情報

解説動画

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基本データ

来迎院の来歴

 大里町北部にある天台宗の寺院で、正式な名前は「光明山安養寺来迎院」といいます。来迎院の建っている場所には、もともと真言宗「貴富山阿弥陀院安楽寺」という寺院(創建年代は不明)がありましたが、当時の住職が仏教の規律を破って追放され、廃れてしまったために、磯浜村(現在の大洗町磯浜町)にあった、天台宗「普賢院」という寺院を天和3年(1683)にこの地に移し、その後元禄5年(1692)に改号されて現在の来迎院となりました。

 現在は住職の住んでいない無住寺となっていますが、数多くの貴重な文化財が残されています。

来迎院の文化財

阿弥陀堂本堂

来迎院(本堂)

県指定文化財(昭和44年3月20日指定)

 江戸時代中期の享保3年(1718)に建てられた、1面が3間(一間=1.82m…5.46m)幅の堂宇造(正方形の平面形をした造りの建物)のお堂で、高い茅葺屋根の頂には金銅製の宝珠(ほうじゅ)が露盤(ろばん)に据えられています。堂の内部には1間の幅で設けられた柱で区切った内陣をつくり、中央に本尊を安置するための宮殿が置かれています。県内の近世阿弥陀堂建築を知る上で貴重な実例といえます。

阿弥陀堂楼門

県指定文化財(昭和44年3月20 日指定)

 正面3間(5.46m)横2間(3.64m)1戸(出入口は1か所という意味)の規模で、楼郭となる高い2階部分を持つ、入母屋造茅葺屋根の建物です。

 門の両袖に仁王像を納めるところから、仁王門とも呼ばれています。本堂より少し遅れて、宝暦10年(1760)に建てられました。造られた年代が少し異なるものの、建築様式は阿弥陀堂本堂と類似しています。

木造阿弥陀如来坐像 もくぞう あみだにょらいざぞう

来迎院(木造阿弥陀如来坐像) (2)

県指定文化財(昭和40年2月24日指定)

 高さ約155.6cm(半丈六と呼ばれるサイズ)、ケヤキ材の一木造で、本尊の表面にわずかに金箔がみられることから、製作当時は表面が金箔で仕上げられていたと思われます。細かく表現された螺髪(=髪の毛)や彫眼(彫りだけで表現された眼)などから、平安時代末の作と考えられ、阿弥陀如来特有の印相(=手の表現)のひとつ、上品上生の印を結んでいます。台座天板裏には、寛文年間(1661~1673)に本像の修復を行った墨書があり、後補のヒノキ材の部分は、その際のものと推定されます。この阿弥陀如来坐像は元々、普賢院の本尊として磯浜村から運ばれてきたと伝えられます。

木造如来形坐像 もくぞう にょらいぎょうざぞう 

来迎院(木造如来形坐像)

市指定文化財(平成24年1月27日指定)

 高さ85.9cmの仏像で、低い肉髻(頭の上の一段高くなっている部分)や細かい螺髪(髪の毛)の表現などに定朝様の特徴があり、平安時代末の作と考えられています。寄木造りのはぎ目が外れてバラバラになっていましたが、令和2年度に修復され、元の美しい姿を取り戻すことができました。手の部分が無くなっていますが、脚の組み方などから、阿弥陀如来である可能性が高いことがわかっています。

大般若経(大般波羅蜜多経) だいはんにゃきょう

 大般若経は天台宗や真言宗の寺院でよく使われる、仏教の基礎的な教えが書かれている経典で、全600巻で構成されます。来迎院にはこのうち430巻以上が残されています。南北朝時代の永徳4年(1384)から、戦国時代末期の慶長6年(1601)の間に、さまざまな人たちからの寄進によって書き写されたもので、元々は那珂市菅谷の延命院のものであったとされています。中世の大般若経で、これだけの巻数が残っているものは茨城県内でも珍しく、文化財的な価値が非常に高いものです。

阿弥陀堂本堂 奉納絵馬群

 来迎院は昭和30年代前半にかけて、多くの参詣者でにぎわいました。

 さまざまな願をかけ、大願が成就した参詣者が、大願成就した際のお礼として奉納した数十点の絵馬が遺されています。

 これらの絵馬の中には宇佐美大奇・田所静山など、地元の絵師の筆によるものもみられます。

イベント情報

解説動画(通信料がかかります)

【文化財解説(来迎院)】いろいろありました…なお寺の歴史と文化財をご紹介します!

今は廃寺の来迎院ですが、今日に至るまでにさまざまな苦労がありました…。そんな来迎院の歴史と、そこに残された文化財をご紹介します!

撮影:常陸太田ビデオ研究会 / 協力:茨城大学人文社会科学部歴史・考古学メジャー

 

【文化財解説(木造如来形坐像)】当時の姿を取り戻した美しき仏像をご紹介します!

来迎院阿弥陀堂の中からバラバラな状態で見つかった木造如来形坐像が、約10か月の修復を終えて帰ってきました。製作当時の美しい姿を蘇らせたこの像はどのように修復されたのか、そしてどのような特色がみられるのか、詳しく解説します!

撮影:常陸太田市教育委員会 / 解説:武蔵野美術大学非常勤講師 萩原哉先生

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問い合わせ先

このページに関するお問い合わせは文化課 文化係です。

〒313-0055 常陸太田市西二町2200(旧法務局)

電話番号:0294-72-3201 ファックス番号:0294-72-3310

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最終更新日最終更新日
  • 2024年9月6日
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