平成11年(1999)に国の登録有形文化財となった梅津会館は、南東の角に塔屋が付いた2階建てタイル張りの鉄筋コンクリート造です。
大正12年(1923)に発生した関東大震災によりレンガ造の建物が甚大な被害を受けたことを受けて、耐震性の高い構造の研究が盛んに行われました。
ちょうどこの時期にあたる昭和11年(1936)に竣工した太田町役場には、当時の最先端の建築工法とデザインの流行が取り入れられています。
技術的にも芸術的にもまさに昭和初期を象徴する建物といえます。
一見地味で質実剛健な庁舎ですが、注意深く観察すると凝った細部が要所に施されています。
真弓山で産出される寒水石(大理石)が両階段室、玄関室内腰廻り及びカウンターにふんだんに使用され、太田らしい建物として完成されています。
外壁に張られたタイルや車寄せのアーチを縁どる大振りの陶製部材のテラコッタも当時人気の高かった建築材料で、この時代の建物に広く見られます。
塔屋3階の逆円錐型窓台に見るスパニッシュ様式の影響や、4階窓廻りの垂直性を強調する意匠にも時代がうかがえる折衷様式です。
あたかも日本の近代洋風建築の歴史を凝縮したかのような、密度の高い建物が鯨ヶ丘の当時の金融街中心地に現れたのでした。
太田町役場が竣工し、庁舎前に梅津福次郎の胸像(銅像)が建つ。
太田町役場前の銅像が供出される。
供出された銅像が再建される。
太田町が市制施行して常陸太田市となったことに伴い、常陸太田市役所となる。
市役所裏に事務室棟となる新館を刊を増築する。
市役所新庁舎が完成して機能が移転したため、梅津会館と名称を変える。
2階会議室を回収して、常陸太田市郷土資料館として開館する。
事務室があった1階を改修して展示室とする。
建物が国の登録有形文化財となる。
東日本大震災で被災。文化庁の補助金を受け、公開活用に向けた改修に取り組み、梅津会館保存活用計画を策定(計画書は平成24年3月に発行)
新館を解体したのち(平成25年)、展示室の増築を含めた耐震改修などの工事が完了する。
〇活用計画の基本方針(『梅津会館保存活用計画書』より)
(1)蘇生 県下一の豪華庁舎を再現 (2)顕彰 梅津福次郎翁の顕彰 (3)情報発信 常陸太田の情報発信 (4)交流 快適空間と市民協働の実現
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(1)蘇生 昭和初期の庁舎建築として建物の本来の姿を来館者が体感できるように、建物本来の魅力を蘇られることを大前提とする復元を行う。
(2)顕彰 建築にあたって当時35,000円の寄付を寄せた梅津福次郎を顕彰する空間を常設で設ける。
(3)情報発信 増築部分に企画展示室を設け、年6回の展示替えを行い、郷土にゆかりのある内容の展示を行い、館の活動の成果を発表する場として常に新しい情報の発信を行うものとする。
(4)交流 1階にサロンを設け、復元された梅津会館の雰囲気の中で来館者がゆっくりと滞在できる空間をつくる。2階の会議室はイベントスペースとして活用し、市民の交流の場とする。
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腰より高い位置に張られた外壁タイルは、暗色の細かい粒が混ざるベージュ色の釉薬のかかったスクラッチタイルの一種の「筋面タイル」です。
タイル1枚の寸法は、高さ2.0寸(61ミリメートル)、幅7.5寸(227ミリメートル)、垂直方向の割り付けは、タイル10枚当たり目地を含めて2.25尺(682ミリメートル)とされ、窓や扉の高さはタイル張りと揃うように計画されています。
タイル張り上下の水平方向の目地は、とても丁寧な蒲鉾型の覆輪目地に仕上げられています。
このような手間のかかる仕上げにすることは、そのものの見た目の美しさだけでなく、直射日光が当たった時に目地に強い影が生じ、建物の外観を引き締める効果があります。
また、外壁腰廻りには石積みを模した花崗岩が張られ、石材間の目地にはタイル張りと同じ覆輪目地が施されています。
石材は、茨城産の稲田石と見られます。
最下段の積み石の一部にある床下換気孔には、当初からの鋳鉄製の格子が嵌め込まれています。
1階北面外壁の窓台の位置から小さな台が突出し、足元に踏み石が置かれているところは、かつて配給等の窓口であった名残です。
車寄せのアーチ部には、緩やかな曲面を描くテラコッタ(大型の釉薬のかかった陶製建築装飾部材)が用いられています。
各面ともアーチ頂点の要石(キーストーン)は唐草模様の施された大型の部材からなり、正面のみ金属製の町章が入れられていました。(※)
テラコッタは、関東大震災後に発達した鉄筋コンクリート造の装飾材として爆発的に広まりながら、戦後にはほとんど作られなくなりました。
車寄せ
※この町章は今日の市章と同じ意匠で、現物は昭和44年(1969)に盗難に遭い、木製の市章に置き替わっていましたが、平成23年からの工事で復原しました。
車寄せ頂上や屋上周囲、塔屋窓廻りバットレス、南北各玄関庇は桃色がかった石目調の吹き付け仕上げとなっています。
当初は「リシン仕上げ」であったことが設計書から分かっています。
来庁者は、正面玄関から客溜に入り、カウンター越しに各部署の窓口担当者と向かい合いました。
衝立のないオープンカウンター式の窓口は、当時の役所や銀行では最新の形式だったようです。
太田町役場では、会計窓口のある収入役室前だけ、防犯用金属製グリルがカウンター上に設けられていました。
郷土資料館としての活用に伴う昭和50年代の改装時に、役場の大理石カウンターはすべて撤去されたと考えられていました。
今日見る玄関前の白いカウンターは、覆い隠されていた天板の残部が、復原工事の際に発見されたものです。
建築材料となる真弓山の大理石はもはや採掘されていないので、木製でカウンターを延長しました。
階段室は、建物の規模相応の大きさですが、石材の産地ならではの贅沢な仕上げが施されています。
大理石からなる巨大な白亜の親柱で驚かせるだけでなく、中央の手摺りや灰色の幅木も石材からなります。
階段は、施工に手間のかかる人造石研ぎ出しで造られています。
2階の床には、床板を受ける根太を並べた間におが屑が防音材として使用していました。
この手法について設計図には「防音床」と記されています。
庁舎の中でも特別な部屋であった町長室・応接室・大会議室・委員会室には、壁表面に表情をもたらす仕上げが施されました。
仕上げの漆喰塗の表面を櫛のようなもので掻いて凹凸を付け、網代状の模様に仕上げられています。
2通りある模様の中でも、職人の手によって味わいが異なります。
1階常設展示室や2階会議室の壁面などに見られます
2階会議室北壁議壇上の扉内は、御真影を安置する奉安所であったと思われます。
資料館時代は収蔵庫として内部に棚を設けて使用していましたが、修復時に後設物を撤去したところ、当初の壁紙張りが発見されました。
壁の左官仕上げに似た、交差する斜線模様が印刷されており、和紙の反故紙を用い、丁寧に袋張りされています。
古写真には同じ図柄の壁紙が見られ、建築当初の壁仕上げであることがわかりました。
現在の窓は、昭和50年代に更新されたものです。
古写真にも見られる当初の鉄製サッシは、上方に欄間のある観音開きの形式でした。
室内の木製扉及び窓額縁には2種類あり、部屋によって使い分けられています。
断面に繰り型(曲面からなる彫り)のある凝った造作がラワン無節材からなり、比較的簡素な造作は杉小節材からなっています。
前者の額縁は、格の高い部屋に用いられており、木材の等級も使い分け、ラワン材の方が上等品として扱われていました。
室内部屋境の建具には、当時高級品であった「突板合板」を鏡板(扉中央の平らな板)に使用しています。
現在扉及び窓額縁・幅木等の木部造作は2階の一部の扉を除いて全面的にペンキ塗されていますが、当初はワニス塗とペンキ塗が空間によって使い分けられていました。
ペンキ塗された部材は杉小節材であるのに対し、木地の透ける色付けラック摺上げ仕上げされた部材には、木目の映えるラワン無節材が使われています。
2階会議室のシャンデリア及び壁のブラケット器具は、資料館時代に設置されたものです。
竣工当初の絵葉書より1階事務室と2階会議室の照明器具の姿は判明していますが、今後の建物活用に当たっては照度が不足するため、既存器具を再利用しています。
当初窓には両脇に引き分けるカーテンではなく、ロールカーテンが使用されていたことが、古写真や建築資料からわかりました。
室内窓額縁の上方には、ロールカーテンの軸受け金物が残っています。
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